もう一つの目的はリスクヘッジですが、こちらについてはあまり認識されていないようです。
以下の話の前提として、
・特許審査は国ごとに行われ、特許権は国ごとに成立する。
・特許審査は、過去の技術を記載する先行文献(特に特許文献)と出願された発明を比較参照することで行われる。
・特許審査で使われる先行文献は、実際には審査官が理解可能な言語で書かれているものに限られている。
・特許権は、外国語であっても同内容の発明を記載する先行文献があとから見つかったときには、無効になる。
・特許出願を審査してこれを拒絶するのは容易だが、いったん成立した特許権を後から無効にするのはハードルが高い。
・特許権を無効にするには、第三者が無効化のための申請手続をしなければならない。特許庁が自ら特許権を無効化することはない。
という背景事情があります。
たとえば、日本のS社において、発明a1がなされたとします。
S社は日本で特許出願し、発明a1について特許権PS(日本特許)を取得したとします。
S社は外国での特許権は不要と考えたため、発明a1について外国出願はしていません。
発明a1を記載する特許明細書SJ(日本語)は公開されますので(公知化)、発明a1だけでなく発明a1に似た発明について他者は特許権を取得することはできません。
以上は、原則論です。
同一発明の外国特許
後日、B国(日本以外)のT社は、なんらかの方法で発明a1を知ったとします。
T社は発明a1についてB国に特許出願し、特許権PT1(発明a1のB国特許)を取得する可能性があります。
B国審査官は、本来、特許明細書SJ(日本語)を根拠としてT社の特許出願(発明a1)を拒絶すべきです。
しかし、B国審査官は、日本語を読めないので特許明細書SJに気づくことができず、特許権PT1が誤って成立してしまう可能性があります。
特許権PT1(発明a1のB国特許)は、本来、成立してはいけない特許権(瑕疵(かし)のある特許権)です。
S社が特許明細書SJを先行文献として提示すれば特許権PT1は無効になります。
無効化のためには、S社は、特許明細書SJの内容についてB国の言語でB国特許庁に説明する必要があります。
このように、無効化のためには手間もコストもかかります。
特許明細書SJを根拠として無効化のためのアクションを起こさなければ、周りは特許権PT1(T社のB国特許)が有効であるという前提で行動せざるをえなくなります。
T社は、同様にして、B国だけでなく、C国、D国・・・にも外国出願している可能性があります。
こういう場合、無効化作業は大変になります。
改良発明の外国特許
更に難しいケースは、T社が、発明a1を知り、発明a1を少しだけ改良(改変)した発明a2を考えた場合です。
T社はB国で発明a2について特許出願し、特許権PT2(発明a2のB国特許)を取得する可能性があります。
B国審査官が特許明細書SJ(発明a1の日本語文献)の存在に気づかないので、特許権PT2(発明a2のB国特許)が成立してしまう可能性があることは、特許権PT1(発明a1のB国特許)と同様です。
特許権PT2が厄介なのは、S社が特許明細書SJを提示しても特許権PT2が無効になるとは限らないことです。
特許権PT2の対象である発明a2は、特許明細書SJに記載されている発明a1と同一ではありません。
特許権の成立を阻止するよりも、成立した特許権を潰す(無効化する)ほうがハードルが高くなります。
権利の安定性が揺らぐことは特許制度としては望ましくないため、特許権は簡単には無効化されません。
T社がB国で発明a2について特許権PT2を成立させてしまうと、特許権PT2は無効化すらできない「安定した特許権(瑕疵のない特許権)」になりかねません。
T社が、発明a1あるいは発明a2に基づいて海外市場を席巻してしまうと、S社の発明a1は日本限定のローカル技術になってしまうことも考えられます。
もし、S社が発明a1についてB国にも特許出願していれば、T社の発明a2はS社の特許明細書SB(発明a1のB国の公用語による特許文献)により「進歩性なし」として拒絶されていたかもしれません。
B国審査官は、日本語を理解できないので特許明細書SJ(日本語)に気づくことはできませんが、特許明細書SB(B国語)なら理解できるからです。
世界の「公知水準」を引き上げる
S社は、外国の特許権を必要としなくとも、発明a1について外国出願しておけば上記のような将来リスクを回避できます。
特に、発明a1を英訳し、USかEP(欧州)に特許出願しておくことは有効です。
発明a1の特許明細書SE(英語)は公開されます。
特許明細書SE(英語)と特許明細書SJ(日本語)の内容はまったく同じですが、英語を解する審査官にも理解してもらえるようになった点に違いがあります。
日本語を理解できる外国審査官は多くありませんが、英語を理解できる外国審査官は多いです。
T社により、発明a1についてB国に特許出願されたとき、B国審査官は特許明細書SE(発明a1の英語版)を見つけることができるので、特許権PT1は成立しません。
英語で特許出願をすることにより、「特許権PT1が成立するリスク」と「特許権PT1の無効化にともなうコスト」の発生を防ぐことができます。
同様にして、T社が発明a2でB国に特許出願したとしても、B国審査官は特許明細書SEに基づいて「進歩性なし(発明a2は発明a1と同一ではないけれども、発明a2は発明a1に比べて特別に優れているというわけではない)」として審査官の裁量にて拒絶できます。
発明a1を英語出願することは、外国出願費用、特に、英訳費用がかかるものの、発明a1と同一または類似(ちょっとした改良・改変)の発明について、他者に外国特許をとられてしまうリスクやこれに対応する手間を防止するという効果があります。
日本語の話者は1億3000万人といわれます。ということは、日本語話者のほとんどは日本人ということになります。
したがって、外国審査官が日本語の特許文献までチェックして特許審査をすることはほぼ期待できません。
一方、英語を実用レベルで使える人口は15億人という説もあります。英語出願することで外国審査官が審査のときに参照できる先行文献にすることができます。
外国語、特に、英語で特許出願をすることにより、外国特許審査のハードル(公知水準)を引き上げることができます。
上記のような効果を狙って複数の日本語出願(一部は日本で公開済み)をまとめて英語で特許出願することもあります(併合出願)。
テーマはバラバラなので、単一性はまったくありません。
外国特許は必要ないので、請求項を減らすなどして余計なコストはかからないようにします。
英語文献にしてしまえば、USだけでなく、EPなどでも類似発明についての特許権が成立しなくなります。
中国など英語圏以外の国の審査官でも、英語特許文献をサーチすることはめずらしくはありません。
もしかしたら、将来、技術開示できればいいという程度の荒っぽい機械翻訳で保険的に外国出願をしておく、という実務が出てくるかもしれません。
他者の知財をヒントにする
応用として、逆のパターンも考えられます。
たとえば、C国の特許出願(C国語)をチェックしたところ、おもしろい発明a3を見つけたとします。
日本には特許出願されていません。
この場合、発明a3をヒントにして発明a4に思いつくことがあります。
C国では普及させられなかった技術でも、日本なら受けることもあり得ます。
他者(他国)の発明a3をヒントにして発明a4について特許権を取得し、日本でビジネス展開することは違法ではありません(※ほかの知財権、たとえば、著作権を侵害しているとか、他の事情があれば話は別です)。
日本に発明a3に関連する特許権がなければ特許リスクはありません。
他人の特許明細書、特に、他国の特許明細書はビジネスや発明のヒントを見つけ出すための材料にもなります。
知財は守ることも大切ですが、他人(他国)の知財を上手くアレンジする視点も大切です。
参考:「特許侵害をギリギリで回避する」「外国出願:どの国に出願すべきか」