論文と特許は、どちらも新しい知識を世の中に発表するという点では共通します。
研究を論文として発表し、特許としても出願することは珍しくありません。
しかし、論文と特許は違います。
以下では、サイエンスの論文を想定して説明します。
論文と特許は目的が違う
論文は、新しい知見を発表することにより、世の中に貢献することを目的とします。
公開が第一目的であり、本質的には公益的なものです。
もちろん、論文を発表することは研究者の業績になるので私益的な側面もあります。
特許明細書は、特許権(独占権)の取得を目的として執筆されます。
特許権を取得したいのなら、発明(研究内容)を公開しなければならないというルールになっています。
特許権が欲しいから、仕方なく技術を公開しているといえます(「公開代償説」といいます)。
独占が第一目的なので、本質的には私益的なものです。
特許出願をすると新技術が世の中に公開されるので公益的な側面もあるといえます。
論文に記載された知見は公共物となりますが、特許明細書に記載された技術は知的財産という私物です。
だから、特許には「侵害」という概念がありますが、論文にはありません。
論文と特許は評価ポイントが違う
論文は、既存知識(常識)に比べていかに新しいか、いいかえれば、オリジナリティ(唯一性)を重視します。
特許も、オリジナリティは必要なのですが、それ以上に事業性が大事です。
特許の世界では、事業として使える技術であることが重視されます。
特許は、発明を独占するというよりも、発明に関わる事業を独占するために出願されるものなので、いくらオリジナリティの高い技術でも、事業性、身も蓋もない言い方をすれば儲かりそうな匂いがしなければ価値はないのです。
特許は、知的財産という財産権であり、これは一種の商品だと見なすこともできます。
特許発明が事業として有望であれば、特許の商品価値も高まります。
論文では事業性は重要ではありません。
したがって、オリジナリティだけでなく事業性もありそうな研究であれば、論文発表するだけでなく、特許出願も検討することになります。
宇宙論の論文のように、事業性が見えない研究は、特許の世界にはなじみません。
以前、ある研究についての特許評価の依頼をされたとき、低い評価をしたことがあります。
研究者には、研究の価値(論文的な価値)を評価しているわけではなく、事業性がないと特許としては高い評価をすることはできないと説明しました。
逆もありえます。
事業性の高い研究なら、論文として評価されないものであっても、特許としての評価が高くなることがあります。
評価ポイントが違うからです。
特許は、論文に比べると世俗的です。
特許は実装を問う
論文は新発見や新説でも評価されますが、特許ではそれが何の役に立つのかを問われます。
たとえば、医学的な新発見をしてそれをきちんと検証できれば、論文を書くことはできます。
特許の場合、その新発見が何の役に立つのかを問うので、新発見を利用した診断装置をどのように構成するのかまで記載する必要があります。
特許の世界では、産業として利用できること、いいかえれば、実装を示さねばなりません。
論文は特許ほど実装性を問われませんので、論文を見ただけでは詳しい仕組みがわからない、肝心なところがよくわからない、ということもあります。
実装に関しては、特許の方が厳密です。
論文執筆時点で実装レベルまで検討されていないこともあります。
こういう場合、弁理士が想定される実装についての検討作業を手伝うこともあります。
論文は理学の世界、特許は工学の世界と見ることもできます。
工学系の研究は、論文以上に特許になじみやすいと言えます。
論文と特許は書き方が違う
特許の権利範囲、いいかえれば、独占権としての威力は、請求項で決まります。
請求項こそが特許の主題であり、特許明細書は請求項に記載された発明の実現方法を説明するためのものです。
請求項の解釈をサポートするために特許明細書がある、という主従関係があります。
特許を取りづらくなったり、権利範囲が狭くなったり、ライバルに余計な情報を与えてしまったりと書き方によっていろいろな不利益が発生しやすいのも知的財産ゆえの特徴です。
しっかり開示することが目的ではなく、どのような切り口から権利範囲を定義するか、どこまで権利範囲を広げられるかというのが検討ポイントになるので、同じ発明でも書き手によって違う特許になるのです。
参考:「発明の完成度」「マイルール製造法としての特許法」