「実際の製品と違う」と感じるのは自然なこと
特許明細書に例示されている製品仕様が実際の製品仕様とは違っていると、違和感を持つかもしれません。
エンジニアとしては、自分の開発した製品を正確に説明してほしいと思うのは自然なことです。私もエンジニアだったので気持ちはわかるつもりです。
しかしながら、「製品を説明すること」と「発明を説明すること」は目的も意味も違います。
特許で製品を守るとは、製品に用いられる技術的なアイデアを守ることです。
したがって、製品仕様を細部まで精密に描写する必要はありません。
製品と同じかどうかより、その製品で生まれたアイデアが正しく表現されているかが重要です。
請求項は権利範囲を示し、実施形態は発明の具体例を示す
特許出願では、製品仕様を特徴づけるアイデアを抽出し、権利として保護を求める内容を「特許請求の範囲(請求項)」に記載します。ここで発明を定義します。
特許法第2条第1項は、発明を「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」と定義しています。ここでいう技術的思想とは、技術的な考え方です。特許は、製品という「モノ」そのものではなく、その構造や動作に込められた考え方を保護します。
発明の実現方法を具体的に説明することで、請求項に根拠を与えるのが「発明を実施するための形態(実施形態)」という項目です。
実施形態は、発明を実現するための唯一の方法という意味ではなく、あくまでも実現方法の一例にすぎません。
発明(思想)の実現方法は無数にあります。同じ発明を、異なる構成や仕様で実現することもできます。
特許法第70条では、権利範囲は請求項の記載に基づいて定まり、その用語の意味は明細書や図面を考慮して解釈される、としています。実施形態は、発明の定義ではなく、発明を理解するための参考例です。
たとえば、請求項には「固定手段」と記載されており、実施形態では固定手段の具体例として「ネジ」が記載されていたとします。
請求項では固定方法を「ネジ」に限定しておらず、「固定手段」と定義しています。ネジは、その具体例です。
実施形態に「ネジ」と書かれているからといって、権利範囲が「ネジ」だけに限定されるわけではありません。その「固定手段」がネジに限定されない意味で使われていれば、溶接や接着剤による固定も含まれます。
少なくとも、実施形態との一致・不一致だけで権利範囲が決まることはありません。
製品仕様とのずれだけで、特許の価値は決まらない
特許出願は、通常、製品開発中あるいは製品開発前に行います。
製品仕様を正確に描写して特許出願しても、その後の開発過程において製品仕様が変化してしまえば、結局、製品仕様と実施形態はずれることになります。
製品仕様が変わっても、発明の核となるアイデアが共通していれば、その違いだけで特許の意味が失われるわけではありません。実施形態と製品仕様を一致させるためだけに、明細書を書き直す必要はありません。
また、現在の製品では採用しないことになった仕様であっても、将来の製品では採用されるかもしれません。自社製品が採用しなくても、他社製品が採用するかもしれません。
実施形態の記載が、現在の自社製品に近いかどうかは本質的なことではありません。製品仕様とのずれだけで、特許の価値が決まるわけではありません。
詳しく書くべきなのは、製品の細部より発明の本筋
明細書では、発明の課題、具体的な解決手段、その手段によって得られる効果を説明します。その技術分野の通常の知識を持つ人、つまり「当業者」が発明を実施できる程度の詳しさが必要とされます。
例示だから簡単でよいというわけではなく、具体的な記載は必要です。しかし、この具体的な記載とは、製品仕様と一致していなければならないという意味ではありません。
また、請求項に記載された発明と関連性に応じて、求められる具体性のレベルも異なります。
発明と強く関連する部分は手厚く記載すべきです。
一方、発明と直接関係せず、既存技術を使えば実現できる部分まで、細々と説明する必要はありません。
明細書では、具体性にメリハリをつけます。
発明のポイントは詳しく、既存技術で補える周辺部分は簡潔に説明します。
たとえば、カーナビの操作画面についての発明なら、画面や操作の仕組みはしっかり説明します。一方、通信部分が既存技術の応用で、今回の発明のポイントでもなければ、通信仕様まで詳述する意味はほぼありません。
ただし、周知の事項であっても、発明の仕組みや効果を理解する助けになるなら精密に記載する意味はあります。
図面についても同じです。製品を忠実に描くことよりも、発明の構成や動作が伝わることを重視します。発明に関係のない細部は省略したり、模式的に描いたりすることで、機密情報の不要な開示を防止します。
自社で採用しない構成も、他社は採用するかもしれない
特許明細書では、通常、現在仕様だけでなく、現在仕様のアレンジや、将来的に採用するかもしれない仕様などの「可能性」についても記載します。現在の製品で使う方法に加え、同じ発明を実現できる代替方法も説明しておくと役立つためです。
たとえば、現在の仕様が「ネジ」、請求項ではより広い概念である「固定手段」と記載したとします。また、実施形態では、具体例として「ネジ」のほか「溶接」「接着剤」も記載しておきます。
「固定手段」のままで特許を取得できれば、ネジにも溶接にも対応できます。しかし、審査で先行技術が見つかり、固定方法を限定する必要が生じることもあります。そのとき、実施形態に「溶接」も書いてあれば、溶接による固定に限定する補正(請求項の記載の修正)の根拠になります。
競合が溶接を採用しそうなら、自社製品のネジに限定するより、溶接に限定する方が事業上有用な場合もあります。ネジしか書いてなければ「溶接」に変更するのは困難です。
実施形態の具体例が豊富であれば「補正」の余地が大きくなります。複数の具体例を記載することは、補正の選択肢を増やすだけでなく、広い権利範囲を支えることにもつながります(実施形態によるサポートに関してはこちら)
補正は出願当初の記載等の範囲内で行う必要があり、時期などによる制約もあります。有用な選択肢は、出願時に盛り込んでおけば審査対応しやすくなりますし、その結果として特許取得に向けた対応の選択肢が増えます。
特許には、他社による発明の実施を排除する役割があります。「競合ならどう変えるか」「競合の特許に何が書かれていたら困るか」を想像しながら書きます。
自社製品が「ネジ」を使っていても、他社製品は「溶接」になるかもしれません。
自社製品の忠実な描写にこだわるより、競合製品を捉えられる権利を取得し、必要に応じて補正できる記載を用意することの方が重要です。
「自社では使わないから書かなくてよい」とは限りません。
他社が使いそうだからこそ、書いておく意味があります。
製品仕様を書きすぎると、手の内を見せることになる
出願内容は原則として公開されます。特許出願が公開されると、競合がそこから技術内容や開発の方向性を探ることができます。
実際の設定値、調整ノウハウ、実験データをすべて記載すると、社内に残せたはずのノウハウ情報まで公開してしまいます。
もちろん、発明の実現や効果の説明に必要な数値・データまで伏せてよいわけではありません。開示すべき情報と、社内に残せるノウハウを分けて考えます。
製品仕様をなんでもかんでも開示してしまうと、技術流出につながります。
実施形態は具体的に記載しなければなりませんが、必要以上に具体的に書く必要はありません。
抽象的すぎると特許にはなりませんが、具体的であればあるほどいいのかというとそうとも言えません。
書きすぎず、必要なことは十分に書きます。
特許出願によって知られるのは、技術内容だけではありません。開発方針や開発のキーパーソンが伝わることもあります。
※特許出願に伴う情報公開のリスクについてはこちらで説明しています。
明細書の確認では「製品と同じか」から一歩先を見る
実施形態と製品仕様の相違に過敏になる必要はないといっても、その相違が技術的理解の間違いに起因するのであればもちろん修正すべきです。
相違点があれば、技術的な誤解によるものか、説明のために簡略化したものか、別の実現方法を例示したものなのかを確認します。
発明の核が請求項によって表現され、実施形態によって十分に支えられているか、不必要な開示までしていないかを確認します。
明細書を確認するときは、「自社製品と同じか」だけでなく、「他社が少し違う方法を採用しても捉えられるか」という観点も意識します。製品の忠実な説明に仕上げることより、発明を十分に説明し、将来使える権利につなげることが大切です。