JPEG(Joint Photographic Experts Group)とよばれるデータ圧縮技術が規格化されたとき、特許権の資産としての側面がクローズアップされる事件が発生しました。
672号特許
問題となったのは米国4698672号特許(以下、「672号特許」とよぶ)です。
672号特許は、CLI社により1986年に特許出願され、1987年に成立したUS特許です。
CLIはテレビ会議システムの会社です。
1998年にCLIを同業のフォージェント社が買収(吸収合併)し、フォージェントは672号特許を手に入れます。
ただし、買収時には、フォージェントもCLIも672号特許の価値にも存在にも気づいていなかったようです。
672号特許は、データ列において同一値が連続するときにはその連続数を符号化することでデータを圧縮する技術に関します。
簡単に言えば、「1111111112」というデータ列を「192(1が9回、2が1回出現する)」のように表現してデータ列の長さ(情報量)を圧縮するようなやり方です。
672号特許の請求項は46項もあります。
請求項(権利請求ポイント)が多いので、CLIは出願当時(1986年)にはこのデータ圧縮技術を「重要技術」と認識していたのだと思われます。
なお、672号特許は日本にも特許出願されましたが、日本では拒絶査定となっています。
JPEGの不安
一方、672号特許が成立した7年後の1994年にJPEG規格が成立し、標準化勧告されます。
JPEGは672号特許に抵触します。
ということは、JPEG製品をつくると672号特許の特許侵害になります。
JPEG規格を策定するとき、三洋電機は672号特許の存在に気づき、危険を感じたようですがどうもうやむやになってしまったようです。
結果として、JPEG規格は672号特許という爆弾を抱え込むことになります。
そして、JPEG規格が成立した4年後の1998年にフォージェントがCLIを買収します。
CLIを買収したあとのフォージェントはビジネスで苦戦し、経営陣は退陣します。
フォージェントの新経営者は、埋もれている特許の価値を見直す、という内容の本を読んで特許に興味を持ち、保有特許の総点検を命じます。
このとき、フォージェント経営陣は672号特許という宝物を発見します。
<経緯>
1986年 CLIが672号特許を出願する。
1987年 CLIが672号特許を取得する。
1994年 JPEG規格が標準化勧告される。
1998年 フォージェントがCLIを買収する。
2000年頃 フォージェントが672号特許を発見する。
2004年 672号特許が失効する。
稼ぐ特許
672号特許は失効間近でしたが、当時、デジカメの普及もあり、JPEGは一般化していました。
フォージェントは特許侵害の警告状をあちこちに出します。
最初に降参したのが三洋電機です。三洋電機は672特許の危険性を認識していたゆえに抵抗しない方がいいと判断したのかもしれません。
続いてソニーが陥落し、最終的には、フォージェントは672特許によって100億円以上を稼ぎます。
672号特許のデータ圧縮技術は、おそらく当初は重要技術として期待されたものの年月とともに忘れ去られ、再び見出されたときには誰も想像していなかったほどの重要技術になっていたといえます。
フォージェントは1000億円以上いけると思っていたようです。そのくらいフォージェントの新経営者は672号特許を高く評価していました。
普及と独占
規格は技術の普及のために策定されます。
特許は技術の独占のために取得されます。
したがって、規格と特許は本質的に相反します。
規格化(標準化)された技術が実は特許侵害しているとなると深刻な問題になります。
672号特許は、JPEG規格による技術普及によってその価値が高まったといえます。
規格をつくるときには、規格案が特許侵害をしていないかを確認すべきですが、特許権の数は膨大なので完璧にチェックするのは非常に難しいのです。
発明が特許権として成立すると、独占権が確立します。
権利範囲がきちんと設計されていれば、設計変更で逃げることもできなくなります。
特許技術が普及すると、今更使うのをやめるという判断もしづらくなります。
そして、どんな特許権を持っているのかを認識することが活用の第一歩です。
どんな特許権をもっているのかを常に意識しながら世の中の動きを見つめることで、特許権の現在価値に気づくことができます。
※JPEG特許事件については「死蔵特許」(榊原憲:一灯舎)を参考にしました。