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印象的な発明:触るのに触らない指紋認証

三谷拓也 | 2025/09/27

 指紋認証のジレンマ

 
弁理士は、いろいろな発明と出会う職業です。

数々の発明の中でも、特に心に残っている発明のひとつが、三洋電機株式会社(現:パナソニック株式会社)の生体認証に関する発明です(以下、「三洋発明」とよぶ)。

三洋発明は、指紋認証のように、認証装置に直接触れるタイプの生体認証(接触型)に関します。


生体認証には「接触型」と「非接触型」があります。
接触型の代表例は、指紋認証や掌紋認証です。
非接触型の代表例は、顔認証や声紋認証です。

指紋認証は、古くから利用されており、非常に信頼性の高い認証方法です。
その一方、不特定多数に触られるので、認証装置は不衛生となります。また、指紋をとられることに心理的抵抗を覚える人も多いです。

非接触型の生体認証は衛生的なのですが、認証の信頼性は接触型には及びません。

三洋発明は、
・信頼性が高い接触型の生体認証を使いたい。
・接触型は不潔なので認証装置には触りたくない。
というジレンマを解決する発明です。
 

「コロンブスの卵」的な解決策


まず、ユーザは、自分専用のICカードを保有します。
携帯可能な電子機器であればいいので、ICカードには限られません。今の時代ならスマホでもいいかもしれません。
以下、この個人用のICカードのことを「個人カード」とよぶことにします。

個人カードには、入力領域と表示領域があります。


ユーザが個人カードの入力領域を触ると、表示領域にQRコードが表示されます。
すなわち、個人カードは、入力領域で指紋を読み取り、この指紋という個人データを秘密の関数で変換してQRコードをつくります。


ユーザは、個人カードに表示されているQRコードを認証装置のカメラにかざします。
認証装置はQRコードを読み取り、読み取ったQRコードに基づいてユーザを認証します。

ユーザは、自分専用の個人カードを触りますが、認証装置を触る必要はありません。
三洋発明では、不特定多数がベタベタと触る<不潔な>認証装置を触らなくても、指紋認証を受けることができます。

一例として、航空機に搭乗するときの乗客チェックへの応用が可能です。
搭乗ゲートに、犯罪者の生体情報を登録しておきます。


乗客は、個人カードにQRコードを表示させて、搭乗ゲートの読取装置に個人カードをかざします。
QRコードに示されている指紋の特徴がいずれかの犯罪者のものと一致すれば、搭乗ゲートは乗客の通過を阻止します。

三洋発明の出発点は「指紋認証は実はキタナイ」という問題を問題として認識したことです。

認証装置が不潔になるのはみんなが触るからです。
みんなが触らない、自分しか触らない個人カードなら抵抗感はなくなります。
そして、個人カードから認証装置に生体情報を送ればいいということになります。
三洋発明では、個人カードが指紋(生体情報)をQRコードに変換することで、認証装置に非接触で生体情報を伝えています。
 

三洋発明の可能性


三洋発明の生体認証は、より具体的には、
1.(個人カード)生体情報(指紋)から生体特徴情報(指紋の特徴)を抽出。
2.(個人カード)生体特徴情報をQRコードに変換
3.QRコードを個人カードから認証装置に伝える。
4.(認証装置)QRコードから生体特徴情報を復元
5.(認証装置)生体特徴情報に基づいて認証
という流れになっています。

三洋発明は、指紋(生体情報)をQRコードという別の情報に変換しています。
QRコードは、指紋に基づいて生成されるパスワードのようなものと見ることもできます。

一般的なパスワードは、数桁程度です。
桁数が多いほどセキュリティは高くなりますが、桁数が多くなると覚えられなくなりますし、入力も大変になります。

QRコードの情報量はたっぷりあります。
三洋発明なら、個人カードをタッチするだけで数千桁のパスワードに相当する情報量のQRコードを生成できます。
ユーザは、パスワードを覚える必要はないですし、自分専用のQRコードを認証装置にかざすだけなので入力も簡単です。

個人カードを紛失しても問題ありません。
Aさんが個人カードを紛失し、Bさんがこの個人カードを拾ったとしても、Aさんの指紋がわからないので、Aさんのパスワード(QRコード)を生成することはできません。
個人カードを紛失しても、Aさんの指紋(個人情報)が漏洩することもありません。

三洋発明の秀逸なところは、生体情報に由来しつつも生体情報そのものではない情報(QRコード)に変換するという発想です。

QRコードから生体情報を復元できないように数学的な処理をしておけば、認証装置に生体情報を登録する必要すらなくなります。
 

特許にならなくても素晴らしい発明はある


三洋発明は、実は特許にはなっていません(特開2005-301988)。

出願審査請求をしたものの、取り下げをしています。
経営環境が悪化したためなのか、三洋電機は生体認証ビジネスから撤退しています。

したがって、この三洋発明は誰でも使うことができます。

三洋発明の「生体情報を別の情報に変換してから使う」という発想は応用が効きそうです。
たとえば、本人確認機能つきの会員カードが考えられます。
会員カードにタッチして、QRコードを表示させれば、本人かどうかわかります。

特許査定にならなかった発明には、いろいろな事情があります。
特許になっていない発明だからレベルの低い発明、ということはありません。

大量の特許文献の中には、いまでも使えそうな発明、いまなら活かせそうな発明、考えたこともなかった問題意識が書かれています。

特許文献には、事業環境や時代の制約で埋もれたままの素晴らしい着想が数多く眠っています。

参考:「印象的な発明:ハードウェアOS」「発明の3つの才能